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所持金30円!行き場を無くしたネカフェ難民の切実な声「3日間何も食べていない」

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新型コロナウイルス
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猛威を振る新型コロナウイルスの感染拡大による影響で緊急事態宣言が発令され、世間は自粛モード、仕事はテレワーク、飲食店は軒並み営業時間短縮や臨時休業を余儀なくされている。

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その影響で仕事がなくなり収入が激減した人も多いだろう。

ネットカフェも休業対象となり「ネットカフェ難民」通称ネカフェ難民が行き場を失い、路上生活、いわゆるホームレスを余儀なくされている人も。日中は仕事を探す人もいれば、公園で時間を潰す人も。夜になれば雨風がしのげる高架橋の下や駅の入口の階段に移動する。

ネカフェ難民は東京都だけで約4千人はいるといわれている。

そんな中、所持金30円で3日何も食べていないネカフェ難民がいるとネットニュースになっていた。そんなネカフェ難民に関して

「自己責任」

「甘えんな」

との批判の声が殺到している。その批判が殺到する様子を見て、ふと火垂るの墓の高畑監督のインタビューを思い出した。

「当時の社会は非常に抑圧的な、社会生活の中でも最低最悪の”全体主義”が是とされた社会。

そんな社会の中では、あの未亡人(西宮のおばさん)のいうとこぐらい特に冷酷でもなんでもなかった

清太の失敗はそんな”全体主義”の時代に抗い、節子と二人きりの”純粋な家庭”を築こうとする、という愚行に走った事。

我々現代人(当時放送)が清太に共感しやすいのは時代が逆転したから

いつかまた時代が再逆転したら、あの未亡人以上に清太を糾弾する意見が大勢を占める時代が来るかもしれず、僕はそれが恐ろしい」

(アニメージュ1988年5月号 高畑勲インタビュー記事より)

もし再び時代が逆転したとしたら、果たして私たちは、いま清太に持てるような心情を保ち続けられるでしょうか。

全体主義に押し流されないで済むのでしょうか。

清太になるどころか、未亡人以上に糾弾することにはならないでしょうか。

全体主義に合わせられない者は悪だ!非国民である!と

現実的な言い方をすれば、社会に合わせられない者の無能さや愚かさは「自己責任」でありそれによって困窮したり最悪命を落としても、それは同情されないものでむしろ責められるべきものである、と、

そういった視点を意識的・無意識的に関わらず、私たちは向け始めているのではないだろうか。

既に今の日本は、全体主義を是としたような昭和初期に似た、時代が再び逆転してるような気がしてならない。

自己責任論の蔓延も日本政府のコロナ対応が遅れに遅れた原因なのではとの声もあがっている。

政府の無為無策で餓死者が出ても、国民は政府ではなく餓死者を叩く

誰もが貧困に陥る危険性がある現状なのに、ネカフェ難民だけを糾弾するのはいかがなものか。

この新型コロナウイルスが猛威を振るう今を生き抜くためには、自分だけが助かればいいでは成り立たない。自己責任論は最も忌むべきものではないだろうか。

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